2010年5月アーカイブ

何度も繰り返すパニックに言葉を失う。

でも一人ぼっちで身に降りかかる様々な困難に耐えてきた人だとしてら、"耐える"ことと"はじけて"しまうことの二つしか自分を維持できない、学習してこなかった人だとしたら、どんな支援ができるだろうか!

親が悪いわけではない。どうしたらいいかわからない中で必死に育ててきた。

"母性"の問題と思い自らを傷つけてきた。親も孤独だった。

職員は事故が起こらないように見守りは必要だが、"繰り返す"ことに対して、その人が生きていくために身に付けた"パターン"に対して"一人じゃないよ"と言ってあげられる支援を考えていかないと"はじける"→監視の強化 では私たちの仕事が「福祉」ではない世界になってしまう。

人は関係性の中で悩み、それが続くと"感じる"機能も弱まっていく。

わかってもらえない世界は"孤独"を増幅させる。

その人の辛いストーリーに関心を持ち"人としての根源的なエネルギーを生み出す関係性"を少しづつ築いていく。

一度の人生"懸命に生きていること"を支える営みしか手はないのです。

(職員向けメッセージより)

"頑張って"⇒"ありがとう"

「頑張って」「がんばります」とはよく使う言葉ですが、私はなるべく使わないようにしています。

"生きにくさ"の中で精一杯生きている方に対して"頑張って"とは励ましではなくエネルギーを奪われる言葉になってしまうからです。

"頑張って"という言葉ではなく"ありがとう"という言葉に置き換えるようにしています。

"ありがとう"という言葉は気持ちが上向く言葉です。

脳には自己報酬神経群という神経細胞があります。これは自分のためだけではなく、達成感や、人の役に立つことが脳への報酬になることを意味しています。

「自分さえよければいい」という人よりも「あの人の喜ぶ顔が見たい」「この人のためにお役にたちたい」と思える人の方が結果的にあらゆる面で力を発揮していくのです。

人類の種の保存のための三欲求は「性欲」「食欲」そして「集団の欲求」です。

人間はもっとも集団的な動物だといわれます。他者との良き繋がりを根源的に求めています。

福祉の仕事をするということは"援け・援けられる"という相互作用を生業にできるということに意味があります。

(職員向けメッセージより)

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