2011年11月アーカイブ

風にあたりに散歩するだげでも「歩行訓練」、家に帰るのも「帰省訓練」といわれた「措置」の時代、暮らすことが「指導・教育・訓練」で表現された。

80年代になり「共に生きる」「ノーマライゼーション」ということがいわれるようになったが、これも良心的な支援者側からの"目線を同じにしたい!"ということ。

国際障害者年の10年であったり、日テレの「愛は地球を救う!」というキャンペーンでTVで絵の上手な障害者がとり上げられた。

90年代になると、
エンゼルプラン、ゴールドプラン、ノーマライゼーション7か年戦略など基本計画が数値目標とともの示され「支援」という言葉が使われるようになる。

2000年になり介護保険という公助・自助に続き三番目の福祉、共助が始まる。

契約の社会は、対等、権利が守られるという意見もあったが、

圧倒的な大きなニーズの中で、自らの権利を主張できない人たちへは、

"生きる"ために必要な事柄さえ負担させられ、"事件"の報道は途切れない。

"支援"とは何を支えるのか?"当たり前"のことは、あたりまえ!。

「生きにくさ」を抱え、精一杯生きている人たちを、

私たち以上に安心に包まれ、幸せを感じられる暮らしを送っていただくために、

私たちの目は、手は、心は、魂は何をしようとしているのか!

Tさんの亡骸を前に、手を合わせたとき湧き上がってきた言葉は、

「あなたはしっかり生きてきた!」ということ、涙が止まらなくなった。

人は人でしか支えられない。

制度の改革を待つことでもなく、変えられることは自らの「あり方」を変えること。

現場は、いつも大変と言う、「大変」とは大きく変わること。

「いつか・・・なんとかなる」「いつか」ということばは永遠に実現しないと同じ言葉。

どんな時代、制度、政策下でもできること、

自らを自尊心を持って"福祉人"と呼べるように、

全てを肯定的に受け入れ、学び成長させ、"支え"られる人になるように変えること。

(職員向けメッセージより)

1/4の奇跡より

難病を患っている雪絵さんに「楽しい話をして」と言われて

山元加寿子(養護学校教員・作家)さんはこんな話をしました。

それは、テレビで観たお話です...

アフリカでマラリアが大発生したときマラリアにかからない人がいることがわかりました。

それを科学者や医師が調べたところあることがわかりました。

私たちの多くは赤血球の形がハンバーグのような形をしているそうです。

ところがマラリアにかからない人たちは鎌状の形の赤血球の遺伝子を持っていました。

さらに、その人たちは3つのグループに分けられました。

一つは鎌状赤血球貧血症という病気(障害)を持っているグループが1/4、

鎌状赤血球を持っていても病気にならないグループが2/4、

残りの人たちは鎌状じゃない人たち、

マラリアが大発生したとき鎌状赤血球を持っていて障害のない人たちが生き残りました。

けれども、

1/4の鎌状赤血球貧血症の人たちがいなければ2/4の生き残る人たちは生まれてこないということです。

「今障害を持った人や病気を持った人はたくさんいます。

その人たちが私たちの子供、子孫を救うために今一生懸命頑張って生きてくれている」

この人たちは大切な存在なのです。

入江冨美子「1/4の奇跡~もう一つの、本当のこと」より

(職員向けメッセージより)

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