風にあたりに散歩するだげでも「歩行訓練」、家に帰るのも「帰省訓練」といわれた「措置」の時代、暮らすことが「指導・教育・訓練」で表現された。
80年代になり「共に生きる」「ノーマライゼーション」ということがいわれるようになったが、これも良心的な支援者側からの"目線を同じにしたい!"ということ。
国際障害者年の10年であったり、日テレの「愛は地球を救う!」というキャンペーンでTVで絵の上手な障害者がとり上げられた。
90年代になると、
エンゼルプラン、ゴールドプラン、ノーマライゼーション7か年戦略など基本計画が数値目標とともの示され「支援」という言葉が使われるようになる。
2000年になり介護保険という公助・自助に続き三番目の福祉、共助が始まる。
契約の社会は、対等、権利が守られるという意見もあったが、
圧倒的な大きなニーズの中で、自らの権利を主張できない人たちへは、
"生きる"ために必要な事柄さえ負担させられ、"事件"の報道は途切れない。
"支援"とは何を支えるのか?"当たり前"のことは、あたりまえ!。
「生きにくさ」を抱え、精一杯生きている人たちを、
私たち以上に安心に包まれ、幸せを感じられる暮らしを送っていただくために、
私たちの目は、手は、心は、魂は何をしようとしているのか!
Tさんの亡骸を前に、手を合わせたとき湧き上がってきた言葉は、
「あなたはしっかり生きてきた!」ということ、涙が止まらなくなった。
人は人でしか支えられない。
制度の改革を待つことでもなく、変えられることは自らの「あり方」を変えること。
現場は、いつも大変と言う、「大変」とは大きく変わること。
「いつか・・・なんとかなる」「いつか」ということばは永遠に実現しないと同じ言葉。
どんな時代、制度、政策下でもできること、
自らを自尊心を持って"福祉人"と呼べるように、
全てを肯定的に受け入れ、学び成長させ、"支え"られる人になるように変えること。
(職員向けメッセージより)