私が一番していたスポーツは、硬式テニスです。
その前が剣道ですから、意識的には格闘系,テニスのシングルの試合は格闘技のようなハートが要求されると思っています。
錦織圭は私の年代から見ると、チャンピオンベルトを渡したくなるような天才でハートも肉体も強い日本人ではないように見えます。
それは子供のころから、アガシやシャラポアを輩出したIMGアカデミー(フロリダ)でトレーニングを続けていることに由来します。
ここでのトレーニングは、日本でのトレーニングのような根性至上主義ではありません。
「一生懸命テニスをすることが楽しい」という感覚をトレーニングするのです。
英語でテニスをすることを、Let`s Play Tennis (テニスをしようぜ!)といいますが、Play を使いますので、(テニスを楽しもうぜ!)と同義語です。
一生懸命をいれると hard を加えるだけです。
邪気のない子供は"一生懸命を楽しむ"天才だったのです。
今のハートであのころの試合に出たら、勝てそうな気がするだけでなくもっと上手くなっていただろうと思います。
そんな脳力を子供のころから育てることは、日本はその真面目さから上手くないようです。
ブラジルの子供たちのへのサッカーのコーチ法、ニュージーランドのラグビーの子供たちの育成法、アメリカのバスケット、野球のトレーニング法もちろんテニスも、世界最高峰といわれています。
そしてその共通点は、そのスポーツを一生懸命やることがいかに楽しいかを経験させることだそうです。
日本の少年野球チームはアメリカではあっさり勝ってしまいます。
その緻密なプレイを見て地元紙に酷評されました。
「思いっきり打たず、思いっきり投げず、日本の子供たちはベースボールの何が楽しいのか?」と!
体力で劣る日本人が、結果を出すために緻密なプレイスタイルになるのは理解ができる部分はありますが、結果エントリーの世界は常にプレッシャーやストレスに押しつぶされ自殺者3万人の社会を作ってしまいます。
基本的には、仕事そのものを楽しむ!生活を楽しむ!人生を楽しむ!ことからエネルギーを充填できることがもっともパワフルな生き方です。
給料が、自らの心を犠牲にしてもらえる対価にしてはならないのです。
私たちのDNAには"一生懸命を楽しむ"ことが刻み込まれています。
福祉人が、ストレッサーになり、"心の中で互いを攻撃しあっているのでは"、チームワークもダイバーシティも生まれません。
人は一人では、自らのことを感じることはできません。
他者の笑顔、喜ぶ姿を見て同じように喜び・自らの存在意義を感じます。
福祉は一生懸命を楽しめる仕事です。
確信しています。
Let`s play job hard !
(職員向けメッセージより)