「保育園落ちた!日本死ね!」
と書かれた匿名のブログが話題となり、待機児童問題が政局がらみで取り上げられています。
さらに、メディア上では、保育士の待遇改善(5万円アップ)や、小規模保育所の定員増(19→22)など様々な議論の場に発展しています。
表現の仕方は乱暴で、品格もなく適切な言い方ではないですが、その意味することは、多くの同様の立場に置かれている人たちの共感を生んでいます。
緊急度により入所の順番のスケールがあるとのことで、そのために偽装的に離婚する人たちも現実にいるそうです。
それほど深刻な問題になっています。
また、52万人いるといわれている特別養護老人ホームへの入居許可を待機している人たちも、
「いつ入れるか分からない...」
というような状況に置かれ、高齢者への介護負担に加え先行きへの不安を抱える方も少なくありません。
入所したくても入れない待機待ちをする人が多いのは、東京や神奈川、兵庫など首都圏に集中しています。
親の介護のために田舎に帰らなければならない、という退職者も最近増えています。
知的・発達障害者福祉においては、いつも述べているように法人が出来た25年前より、入所を申し込んでいる人たちは約1,000人です。
しかしながらこの数は島しょを含めて82ヶ所の福祉事務所のなかで厳選してきた人たちの人数です。
在宅で暮らしている1/4の人たちの年齢は40歳以上です。実数はその何十倍にもなると思われます。
私たちは週に一度程度は、
「入所できないでしょうか?ショートスティは入れないでしょうか?」
という相談を受けます。
この数年は、併設する通所部門の親御さんのどちらかが病に倒れ、"万が一の思い"の中で私に直接連絡が来ます。
電話口からは憔悴しきっている状態であることが伝わってきます。
その人たちに対してただ断ることしかしてこなかった自分がいます。
入所施設が足りてないことは明白です。
ショースティや地域での暮らしを支えるリソースである障害者を見られるヘルパー、重症心身障害者など障害の重い人たちを受け入れる重装備のグループホームは増えているのか?
答えはNOです。
目指すべき社会はいつ出来るのか?
それまでの間、今、困っている人たちへの対応はどのようにするのか?
旧都立施設への入所に関しては、スケールがあり点数制になっています。
入れない親たちの中には、「役所に行ってこの子を殴る」と言う人がいます。
虐待の事案であれば緊急性があるからです。
多動の子を持つ夫婦の母親が重篤な病にかかり、父親が二人の介護をしなくてはならなくなりました。
父親はまもなく自らの命を絶ちました。
切なくなる現実です。
私には待機者の方の"辛さ"に優劣はつけられません。
子供に障害があることは誰のせいでもなく、社会の問題です。
基本的人権の問題です。
現在の状況は、さながら、公民権を獲得する前の黒人への待遇のようです。
この問題をさらに複雑にしていることは、障害者福祉は"地域で"が理念になっていることから施設を作ることが前提になっていかないことです。
事業者間でも温度差があることです。
私は将来的には解体するにしても圧倒的なニーズのある首都圏では入所施設は必要だと言い切れます。
このように言い切っている私どもの法人は、重度対応のグループホームを増やしていますし、ヘルパーステーション、通所施設も経営しています。
"正しさ"は地域によって違うのです。
障害があろうがなかろうが差はあっても別はないのです。
今ある悲劇を続けてはなりません。
障害がある人たちが安心に包まれて生きていけるようにご本人が発信や運動が出来ないとしたら、彼らに変わって一番そばにいる我々がご本人に代わってすこしでも"生きやすく"なるための活動をしていかなければなりません。
このことを福祉の世界では、ソーシャルアクションといいます。
少子高齢化、就労人口の減少、障害者等支援を必要な人々の増加、日本は人口が一億人を超す国家としてはじめての「福祉国家」になる道を歩かなければならないと思います。
(職員向けメッセージより)